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前衛美術とは、19世紀に端を発する美術動向のひとつでアヴァンギャルドとも呼ばれる。訳語が「前衛美術」とされたことですごーく訳がわかりにくい用語になっている。=前衛的な美術という意味ではないことに注意。
前衛美術を説明するためにはそれ以前の美術の話をするのがわかりやすい。
前衛美術以前の美術
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ちょー端的に言うと、前衛美術以前の美術というものは王侯貴族、教会、資産家が自分たちの求めるものを画家に発注し、その意にそった作品を制作するというものだった。
つまり画家自身が自発的に作品を制作するという自体は存在せず、受注生産という形をとっていた。
が故にこそ前衛美術以前の芸術作品は、教会が布教のために必要とした宗教画や神々の彫刻、王侯貴族が自分たちの威厳や富を民衆に知らしめるためにつくらせた自画像や、彼らが行って来た行為を正当化するための歴史画しかなかった。
世界の主役の交代
これが市民革命、すなわち封建的・絶対主義的国家体制を解体し「市民」なるものが世界で初めて誕生したことにより、相対的に王侯貴族および教会の力が低下し「個人」という概念が生まれた。
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権威失墜しその強大な力を失った彼らは芸術家のパトロンの役を退いていくことになり、また個人という概念が生まれたことではじめて芸術家自身が作品を作る意味を考え、コンセプトからプロセスまでそのすべてをコントロールするようになる。
これが今に至る美術の大きな潮流のスタートであり、それ以前との大きな断絶である。これを前衛美術、アヴァンギャルドと呼ぶ。
前衛美術の初期代表的人物
ギュスターブ・クールベ
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前衛という言葉はフランスの画家であるギュスターブ・クールベ(1819年 – 1877年) が一番最初に使ったとされる。(市民革命といえばフランス!)クールベはそれまでの美術においては決して描かれることのなかった貧民や労働者などを積極的に描いた画家として知られる。
クールベの有名な言葉に「天使を描いてほしければ、目の前に天使を連れてこい」というものがある。
上記の前衛美術の件を踏まえてこの言葉を聞くとクールベという人物の評価がすんなり理解できるだろう。
前衛以前の美術を知らないと、クールベの作品を見ても何がすごいのか全く理解出来ないし、彼が写実主義の画家といわれる理由もわからない。(それ以前の美術はすべて虚構の絵画だった。その意味において写実的なのである。)
エドゥアール・マネ
ギュスターヴ・クールベと並び、西洋近代絵画史の冒頭を飾る画家の一人であるvia : エドゥアール・マネ – Wikipedia
フランスの画家(1832年 – 1883年)で、上記Wkipediaでこう評されるように、マネもまた前衛美術の旗手のひとりであり近代西洋史を語る上ではずせない人物である。
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以上見てくるとわかると思うが、前衛美術は前衛的な美術ではない。19世紀末に前衛的であった美術のこと。クールベが前衛という言葉をはじめて用いたこと、クールベの芸術はそれまでの権威である教会、王侯貴族の絵空事表現に反抗するものである、という点から、市民革命を契機として起こった表現革命と考えるのが適当であろう。
前衛は同時に、近代西洋美術の始まりであり後のモダニズムの火種となった。
例えばいま自分の身の回りに「俺の作品は前衛だ!」なんて言う人物がいるとすればそれはかなりの確率でパチもんと言えそうだ。