輪切り牛の親子のホルマリン漬け-ターナー賞の歩み展-

輪切り牛の親子のホルマリン漬け-ターナー賞の歩み展-

アートの展覧会というと、どうしても一昔も二昔の前の印象派の展覧会やら、外国の美術館から作品丸ごと借りてきてレンブラントや、フェルメールやピカソなんかのいわゆる『巨匠』と呼ばれる大昔の作家の展覧会が多い。

つまり『価値が確定してゆるぎないものとなった作品』の展覧会が多い、というよりもそんなのばかりで、今に生きる私としては興味のそそられる展覧会なんてほとんどない・・・。

現在六本木の森美術館で開催されている『英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展』は上に上げたような展覧会とは全く異なる展覧会だ。今の時代をリードする世界中のアーティストたちの作品が一堂に会したもので、とてもエキサイティングなものになっている。

出展しているアーティストの中から何人かピックアップして紹介しよう。

牛を輪切りにアートするダミアンハースト

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本展で『母と子、分断されて』という題名の、その名のとおり母牛と子牛のそれぞれが体を縦に真っ二つに切られホルマリン漬けにされガラスの入れ物にこれまたそれぞれ分けられいれられた作品がある。かのYBA(Young British Artists)の代表格ダミアン・ハーストの仕事だ。

“Natural History”という、死んだ動物(鮫、牛、羊)をホルマリン漬けしたシリーズが有名。現代で最も有名なパトロン:チャールズ・サーチに よって見出された。この”Mother and Child, Divided”は93年のヴェネツィア・ビエンナーレに出展されたもの。ハースト作品の中で最も知られている作品を言えるだろう。2007年のヴェネ ツィア・ビエンナーレに足を運んだが、衝撃もなければ、未来もみえないようなおもしろくない展示だった。93年のビエンナーレはどれほどエキサイティング であっただろう。

歴史を石膏で保存する:レイチェル・ホワイトリード

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女性初のターナー賞を勝ち取ったレイチェル・ホワイトリード。 キャストによって今はもう無い、つまり制作時点では存在しているのだが、その後この世から消えてしまうものを型取りすることで作品を制作する。本転の『ハ ウス』は、ヴィクトリア朝時代の二階建て民家全体の内部空間をすべてをコンクリートで型取りした作品。その制作の様子を映像でも見れるのだが、これがなか なかおもしろい。『ハウス』の原型である建物はその後、当局によって取り壊され社会問題にもなった。

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痕跡としての人体:アントニー・ゴームリー

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いやぁゴームリーはいい。。
イギリスの彫刻家アントニー・ゴームリーである。人体作品で知られるゴームリーは94年にターナー賞を獲得。自分の身体を型にして鋳造によって作品を制作。自分の体を複製しているにもかかわらず、そのクローンであるはずのかれの作品からは全く彼を感じず、むしろ概念としての人間そのものであるように感じる。

『ゴームリー自身』の抜け殻であるはずの彼の作品だが、そこに見て取れるのは『人間』という種そのものの抜け殻だ。そんな人間の抜け殻、痕跡である ような人型がインスタレーションされたゴームリーの重要なインスタレーションの1つ『アナザー・プレイス』は、マージーサイド州クロスビー・ビーチに永久設置されている。私もまだ見ていないので是非みにいこうと思っている。

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Creative Commons License photo credit: Norte_it [Dario J Lagana]

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精神と感覚を操作する:アニッシュ・カプーア

ゴームリ―は80年代に登場し「ニュー・ブリティッシュ・スカルプチャー」と呼ばたのだが、そんなニュー・ブリティッシュ・スカルプチャーのもう一人の代表的作家アニッシュ・カプーアもターナー賞を受賞している。

アニッシュ・カプーア:クラウドゲート
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カプーアはインド人アーティスト。欧米出身のアーティストがロジカルな表現を志向するのに対して、アジア人が根底には感覚的な表現をするような気がするとは言いすぎだろうか? 日本人は『アートは知的理解をもとめるもの』との理解が無いから欧米主導の現代アートが意味不明のわけわかめになってしまう。

しかしカプーアの作品はそういった理性で見ることができなくとも見るものを強く揺さぶる表現である。すんごく分かりやすく言ってしまうと人間の錯覚を引き出 すような作品をつくるのだ。穴が開いているのかはたまた黒く塗ってあるだけなのかわからない空間感覚を崩すような作品や、凹面になっているのか凸面になっ ているのかわからなくなってしまうような漆の磨き上げの作品などなど。。自分の感覚というものが如何にてきとーなものかを突きつけられると同時に、自分と いうものと物質、または物質世界というものの距離感や関係というものを考えるように仕向けてくる。

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そんなためもあってか、2004年にオープンした金沢21世紀美術館に部屋をまるごと使って作られたインスタレーションが恒久設置されたり、2005年に上野のスカイ・ザ・バスハウスで個展が開かれたりと日本でもしばしば見ることができる。(日本じゃ現代の海外のアーティストの作品なんてなかなかまとめて見ることができないですからね・・)

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カプーアといえば、去年たまたまドイツに行ったら個展が開かれていて新作含めて20点くらいだろうか、高さが10メートル近くある大作から、それこそ展示空間の壁とか壊してまで空間が作られていたのだけれど、作家の意図を汲み取ろうとする姿勢、アートを愛し畏敬の念をもっているヨーロッパのひとたちと、日本人のアートをはじめとする文化に対するスタンスの違いを改めて感じてしまったことを思い出す。

ターナー賞・イギリスアートシーンが示唆するもの

まぁ他にもすんごいのが山のように出ている『英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展』。リチャード・ディーコンやトニー・クラッグ ヴォルフガング・ティルマンスやリチャード・ロングなどなど、世界の一流のアーティストの作品が山のように見れるのだ。

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今でこそこれらのアーティストの作品は価値があるとされているけど、ほんの20年くらい前ちょうど彼らが台頭してきたころは、こんなのアートじゃないとか、クソくらえだ!とか、うんこに違いない!!なんて揶揄されたりしていたわけ。
でもそんな状況にあっても、彼らの作品は素晴らしいと美術評論家に言われるでもなく、テレビで賞賛されるでもなく、自分自身の中にある価値のものさしの言うところに従って、彼らと彼らの作品を後押しした人たちがいたからこそ、今じゃ社会的にそして世界的にひとつの価値として公認されているのだ。

我々日本人も自分自身の内なる価値のものさしに従って行動してみるべきじゃなかろうか。自分自身の内なる価値のものさしが世界の価値のものさしになりうるということ自覚すべきじゃなかろうか。そういうひとたちがどんどん出てくると、日本はとんでもなくおもしろいことになってくるんじゃないだろうか。わたしはそう信じて、自分自身の内なる価値のものさしのつぶやきに日々耳を傾けている。

英国美術の現在史:ターナー賞の歩み7月13日まで

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