「色」という概念は「感覚」と「光」という二つの要素を必要とする。
当然のことだが、人間が色を認識できなければ、「色」という概念は存在し得ず、光がなくてもまた「色」は存在しえない。我々の身近にあり、ふだんその存在を疑うことのないものについてふと考えてみると、非常に不安定であり、不確定的であるといったことは少なくない。JIS規格における色指定検査の方法に「色」のそれをはっきりと見て取れる。
照明 | 北窓昼光:2000lx~(日出後三時間・日没後三時間) |
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視環境 | 濃い色がないこと、均斉度80%~、1000~4000lx |
作業面の周囲 | 無光沢無彩色(L50~80:明るめのグレー) |
作業面 | 無光沢無彩色(L50:グレー) |
試料標準色の大きさ | 視角2°(視距離30cm:1.1×1.1cm、視距離50cm:1.8×1.8cm) 視角5°(視距離30cm:5.4×5.4cm、視距離50cm:8.7×8.7cm) |
観察者 | 色覚検査済(40歳~はアノマロスコープ等)、無彩色系衣服 |
手順 | 試料と標準色は隣接させる 目から50cm話し、法線の方向からパステル色の濃い色や補色を見ない 時々無彩色を見る |
以上のように厳格にその方法が示されているのだが、この事はこれらの要素が一つ変わってしまうだけでその色が違ったものになってしまうということの証明である。色はその環境・状況に大きく依存しているのだ。
私はここに美術に携わるものに対する課題を見出す。表現と伝達の関係性と、その厳密さという問題だ。
美術作品を作るという行為は、表現することである。表現という行為は、見るものに対し伝えることを必要とされる。まして美術というものは社会の上に成り立っているもので、作ったら、はいそれでおしまい、ではなく相手に、みるものに対し伝えることが要求される。趣味としてなにか絵を描いたり、モノを作ったりするのであればそんなことは必要ないが、社会の上に存在するという性格を持つ美術、芸術の場合はそうは問屋が下ろさない。単に表現したとしてもそれが他人に伝わらなければ社会においては評価されない。
人間が「色」というものを認識できる以上、世の中のあらゆるものは色を持ち、美術作品においてもそりゃ例外ではない。
例えばAという作品を作っているとしよう。AはBという環境で作られ、Cという環境で展示された。このときその色彩は変化してしまい、その展示空間での表現は不完全な方向へと蹴っ飛ばされる。当然伝達という面においても同様だ。特に絵画かなんかで色を重要視している作品なんかはこの問題はより顕著である。
色彩の不安定性・依存性を証明するものとしてプルキンエ現象というものも挙げられる。可視光(380~780nm)の各波長での視細胞の感度を示す曲線を視感度曲線というのだが、明所では主に錐状態と呼ばれる視細胞が働いていて560nmでピークとなり、暗所では桿状態(かんじょうたい)と呼ばれる視細胞が働き510nmでピークとなる。つまり明所と暗所とでは目の感度にずれが生じるのである。暗いところでは青は相対的に明るく見え、赤は暗く見える。このような現象をプルキンエ現象というのだが、ここでも色彩の不安定性・依存性というものを見て取れるのだ。
総ての表現者・作り手が表現伝達の厳格さを標榜し、求めているわけではないだろう。しかし表現する人間はこういったこともたまには考えなきゃならんのではないだろうか。表現・伝達の不確定性、依存性というものについて。