西尾康之と鍛金的造形

西尾康之と鍛金的造形

西尾康之、非常に奇異で興味深い作家である。「興味深い」ということに関していえば、それは作品、方法論はもちろんのこと、その西尾氏本人自体に関してということである。

西尾康之とは?と聞かれた際、名前の次に想起されるのは「陰刻鋳造」という、オーソドックスな彫刻の制作方法ではない技法を用いる作 家であるということだ。混沌の極みともいえる「美術」についてオーソドックスなものを求めるのは適当ではないかもしれないが、あえて彫刻のオーソドックス な制作方法、思考方法を挙げるとすれば、それは「彫刻」という字が示すとおり「彫る」ということである。無垢材から形を作り出すその方法は、それが故のカ タチに制限する。世間で目にする彫刻作品はそのほとんどがこのような種類の造形であり思考方法もまたそれだ。特にモノを作っている人間ならば一見しただけ ですぐ分かることだが、ある技法ゆえの独特の、または制限されたカタチというものがある。その点で西尾氏の作品はその特異な技法が故の特異 な形を可能とする。ここで西尾氏の言う「陰刻鋳造」なるものについて簡単に説明してみたい。

西尾康之

陰刻鋳造とは?

通常鋳造技法は、まず粘土などで原型を作り、これを石膏などで鋳型を取った後、その鋳型にたとえば石膏なり、樹脂なりを流し込んで原型と同じカタチ を得る。しかし陰刻鋳造の場合は原型が存在しない。原型なしでいきなり鋳型をつくる。具体的には、粘土に指を押し付けて窪みを作り、指の痕跡または指の移 動の軌跡をそのままに、これを鋳型として石膏を流し込む。西尾氏自身の言葉を借りれば「一般の彫刻が外から形成されるのに対し、ボクは内側から造形するん です」ということになる。さらに彼の言葉を借りると、内側から造形するということは完成作品を考える時、制作時の作家は作品自体の中にいることになり、観 客は粘土の中にいる、のだ。これが陰刻鋳造についての概略である。

私が西尾康之の造形に興味を覚えるのには確固とした理由がある。私は鍛金と呼ばれる技法により、金属の板材を用いてアート作品を制作する。それは取 りも直さず、先に述べたように技法が故の独特のカタチを生み出す。鍛金の場合一つ挙げると、内部空間を有する形態に必然的に到達する。とある鍛金作家はこ の鍛金造形を「膜状組織」の造形と呼んだ。この点で、西尾氏の陰刻鋳造と接点を持ってくる。西尾氏の造形もまた、膜状造形にほかならず、巷にあふれる可塑 性素材を「彫刻」することで生まれるありきたりなフォルムとは一線を画するものだ。西尾氏は陰刻鋳造によりパーツとしての表皮をつくりあげ最終的にそれを 組み合わせて造形する。そのため内部空間を有する形態を可能とする。そして前述したように、彼は指の痕跡、指の移動の軌跡をそのままに鋳造する。鍛金もま た金槌を一打一打振り下ろし造形し、その金槌の痕跡もそのまま最終的な形に残る。この点でもまた彼の印刻鋳造に私は引き寄せられるのだろう。

crash セイラ・マス

最近話題を独占した2005年11月6日より上野の森美術館で開かれていた機動戦士ガンダムをメインテーマとした、若手アーティストのアート展 「GUNDAM-来たるべき未来のために」に西尾氏が出展した『crash セイラ・マス』についてこの点から見てみよう。

『crash セイラ・マス』は、280×400×600cmという巨大な彫像。四つんばいとなって前方を鋭い眼差しでにらみ飛ばし、握った拳を振り上げる様は異様な力 強さとエロティシズムに満ちている。このセイラ・マス、体の至る所から内部が見える構造になっている。口や、胸から腹にかけて、そして性器の中までもが見 えるようになっている。口から小型カメラを入れれば内臓の中まで見ることができるそうだ。作品がネガポジ逆転された立体となることからも分かるとおり、陰 刻鋳造という技法は探求すれば探求するほど、無意識的に内部と外部という観念が作家に侵食してくる作用を持つのだろう 。そしてこの手法をとることで作家の意図を越えたカタチが云々というところを超越した、陰刻鋳造ならではの特殊な造形に至り、それを見るものにも無意識的 に感じさせていくのだ。極端に言ってしまえば、形を作ろうとして造形するのではなく、行為の積み重ねにより形が発生してくるというほうが的確なように思われる。

死x精神異常x客観

部分部分に執拗なまでに粘着的でどこか「死」香りがする。これが、私が西尾氏の作品を拝見しての第一印象だ。そしてまたある種精神異常者の描く絵のようで もある。作品のモチーフは非常に個人的なフェティシズムに満ち溢れている。巨大な虫の化け物であったり、巨大女が都市を破壊するシーンであったり、首を つって死んでいるファッショナブルな若い女性であったりと。彼は作品制作の原動力を「所有不安」と呼んでいた。講義終始に渡って彼はこの言葉を何度も口に していたが、私の理解では「存在不安」といったほうが分りやすいように思われる。彼は幼いころから、自分の存在が非常に虚ろなものであると感じ、その恐怖 に襲われ続けていたそうだ。そのため「自己」で多い尽くされたような作品を作り続けることでその不安、恐怖を解消しようとしてきた、と語っている。

時にミジンコなどの微生物をドライヤーで干からびあがらせ、それを延々と映像に残し、ある時はミツバチが自分の巣を作る方法、つまり樹木の皮などを集め、 自分の唾液で溶かして巣を作る方法を真似て、浜辺で自ら砂を口でくわえて唾液と混ぜ、巨大な家を作ろうとしたりと、西尾康之は非常に破天荒というか、一見 本物の精神異常者のように思われる。しかし飛びぬけてクールに物事を見ており、客観的に自分を分析する事のできる頭のキレる人物だ。私はどうやら彼の虜になってしまったようである。

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