若冲の次に向かったは汐留にあります日テレ。岡本太郎の明日の神話を見るためです。 若冲でえらく気をよくしていた手前、すんごい凹んだ・・・。 明日の神話が悪いんじゃなく、日テレの岡本太郎に対する、いや文化とかアートに対するスタンスに失望と苛立ちを覚えたから。 あんな最低な展示ははじめてです。
日テレさんよ、ありゃひどすぎるだろうが・・・。
会場に展示されていたのは岡本太郎の「明日の神話」ではありませんでした。
そこにあったのは「明日の神話」を利用したコーポレートブランド戦略の一環としてのプロモーションでした。 視聴率が取れさえすればなんでもいい、物が売れれば倫理も人の道も関係ない。そういう経済至上主義と対極にあるはずのアートがそれの餌食になっている。そんな風に私の目には映りました。
文化、アートに対してなんの考えもビジョンも持っていないのでしょう。日テレが最近アートに対してやけに積極的なのが気になってた。 そりゃ企業なんだからボランティアしてるわけじゃありません。 だからといって話題と金だけを目当てに、その文化の使えるところだけをクローズアップして利用するのは搾取としか言えないのではないでしょうか。文化とは表面的なものではなく思想であり、そのものの背景にこそ目を向けねばその本質は見えてきません。
確かに岡本太郎は晩年、マスメディアに自分を売るような行動をした。それはたとえ自分が搾取されたとしても、 美術がより多くの人たちの目に触れ、そのことで何らかの変化が起これば、という思いのもと、損益のバランスを考慮したうえで「やってやろう!!」ってこと だったんだと思う。
しかし彼が亡くなった今、そういった縛りが無い中で、メディアの好きなように利用されている「明日の神話」と岡本太郎と岡本敏子を見るのは とても心が痛かった。 自社のブランディングの一環として「アート」を前面に据え、ただソレのみのために「アート」を利用しているのが見え見えだった。もし主催者側にそういう意図が全く無かったのなら、それは展示の実構成が悪すぎる。
文化とは何か?芸術とは何か?
アートというものが社会に対しどういう富を、どういう価値をもたらしているのか?一体文化にどんな価値があるのか?もし何らかの価値を見出し、それを守っていかなければと思うのであれば、それ相応の深い研究と、覚悟と強い意志が必要になるでしょう。
こういった問いに対し、どれほどの思い入れがあり、どのくらい自問し、どれほどのポリシーと考えを持っているのか全く感じられないイベントになっていた。 日本における文化に対する目がようやくいい方向に変わってきてるのかと思いきや、ふたを開けたらこれだモノ・・・。 本当に心が痛くなった。 嗚呼・・・岡本敏子さんが生きておられたらなんと言っただろう・・・。
往々にして日本って国は全く文化を育てる気が無い国ですね。 文化というものを奪われたことが無いからでしょうか?自分たちのアイデンティティーに無頓着だからでしょうか?「異質」と対峙してこなかったからでしょうか? まあ嘆いているだけではかっこうがつきませんので、何かやってやるつもりでいます。