私事ですが、我が妹が「踊る」とうわさを聞き、ちょいと新宿まで足を運んできました。 9月3,4日に渡って都庁横の、 とみん広場を中心としたあたりで行なわれた「大江戸舞祭2005」であります。
案内用紙によれば、『小中学生が主役となって「東京ラプソディー2000」と「地元の伝統・文化・芸能」を鍵とし、 音楽、踊り、衣装で自由に自己表現する、連(チーム)踊り』を踊り、『踊り子と観衆が共創する祭り』であるとの事です。
付近は警察が警備をする中、近くの道路は封鎖され、その場所柄もあり、東京都の全面協力を感じされるものでした。詳しいことは分かりませんが、 大道芸免許制をはじめる等、文化方面にも力を入れている石原都知事の存在を感じました。
さて、この祭りどうやら趣旨文の通り、参加者の大部分は小中学生だったようですが、わたくしの妹は高校生であります。 彼女は専門学校的志向の高校に通っており、その中の「パフォーマンスコース」なるものに属しているとのことで、その成果発表、 いや、そのダンスの内容から察するに表現発表の場として参加したようであります。どういうことかと申しますと、 彼らのダンスには、他の小中学生のそれとは決定的に異なる部分があったからです。それは「見せるダンス」をしているという事です。
彼らのダンスは、確実に観客というものを想定したダンスで、 「誰かに見せる」ということが前提としてあるものでした。つまりそれは趣味的なダンスではなく、それは明らかに社会との関係を意識したもので、相当仕込まれてるな 、という印象を受けました。顔の表情から、空間の意識、パフォーマンスとしての彼らのダンスは見る価値のあるもので、 兄のわたくしはとある感慨を受けました。
それは、自分と異なる分野で頑張っている人間と出会ったときに感じる、己のもう一つの可能性、 というものです。他者と触れ合うことの意味の一つとして、もう一つの自分の可能性を感じることができるということがあるように思います。 今私はこんなことをしているけど、もしかしたらこういう可能性もあったんではなかろうか、 と思えることは、他者と出会うことの醍醐味の一つであると言えるでしょう。それを、彼らのダンスを見ていて感じました。
まあ当然まだまだ未熟でしたが、「見せるダンス」から「魅せるダンス」へと昇華する時、彼らは次の新たな地平に立つことでしょう。 頑張れよっ。