暗がりの中でマッチをするように、
気づかぬうちに視力が落ちて、初めてメガネを作ったときのように、
見てはいたのだけれども、見えてなかったことが最近またひとつ見えた。
私は夜の街を歩くのが好きなのだということに
最近気がついた。
それは「暗い」のが好きなわけでも
夜行性だから、なのでもない。
夜の街を歩いていると「歩いている」という実感が得られるからだと思う。
喧騒に支配された真昼の都会を歩いていると
「歩いている」のではなく「歩かされている」ように感じる。
自分の意思ではなく
誰かの操り人形であるかの如く
いや操られていることにすら気づかないで
道を歩いているかのように
朝満員電車に乗って職場に行くのも、
昼の12時になると「お昼ごはん」を食べるのも、
電話をかけて「もしもし」という言うのも
どれもこれもなーんの必然性もない。
「タマタマある条件の下でそうなっただけ」なのに
あたかもそれが当たり前であるかのように思わせる「システム」が
今の世の中をコントロールしている。
自分の時間を生きているのと
「作られた時間」を生きているのと。
実際問題その「時間」の違いを「知る」ことすら難しい。
夜の街を歩くと、そんなある種の「システム」から開放されるのだ。
アートはそんな領域で仕事をする。