工芸とは何か?
なんと曖昧で、なんとわかりずらいことばでしょう…。
この工芸って言葉をずばり言い切るのは非常に困難です。なぜかっていうと、色んな見解、考えがあり統一されたものがないから。
ではなぜ「工芸とは何か」なんて考えるのでしょうか?工芸について考えて一体何の利益があるのでしょうか?
なぜ工芸を考えるのか?
わたくし赤井太郎は自分の作品がアートと呼ばれようが、金属工芸と呼ばれようが、彫刻と呼ばれようが、はたまたオブジェと呼ばれようがどちらでも構いません。
つまり、ひとつの芸術として作品を見る上では「工芸」などというくくりはどうでもいいことです。
でも「知らない」ということは時として犯罪です。技術の伝承を受けておきながら、それにまつわるアレコレについて何も知らないのは罪深いことのような気がします。
ただ実際のところ、今工芸というものを考えてみようとするのは、そこに「とんでもないもの」があると感じているからなのです。
そのとんでもないものというのがお宝なのかはたまた地獄への入口なのかはわかりません。それはこれからの社会がそれをどう捉えるかによるからです。
「工芸」というのは西欧的な考え方、物事の見方、すなわち哲学思想の対極にあるものです。あちらこちらで言われていることですが、西洋の考え方がその限界を露呈し始めています。
まあそんなこんなで結論はのちほどということで、工芸ってモノについて分かり易く、時に小難しく考えてみたいと思うわけです。
アートとグローバリズム
ではまずこんなところから「工芸」を考えてみることにしましょう。それは日本のアート/美術とは何か?という命題に対しても工芸を考えることは有効だから。なぜこんなこと考えるかというと、それはグローバリゼーションが着々と浸透しつつあるから。ホントに浸透してんのかよ?って思います?
例えば今(2006年夏)、原油価格が高騰し、ガソリンや砂糖の値段が上がってる。まあこれにはいろいろな理由があると思いますが例えばイスラエルとレバノンの喧嘩、中国・インド等の急激な経済成長だったりするものと思われます。
産出国の生産能力の停滞は、供給量の低下を招き、中国・インドの経済成長は原油に対する需要を増加させます。加えて、今後原油は上がり続けるだろーってことで投資の対象にされ、あれよあれよと原油価格は上がってきたのであります。
はるか何万キロも離れたところの喧嘩が家庭のお財布に影響してる。砂糖なんかはその喧嘩のせいで原油が高騰し、石油の代替エネルギーとして使われるサトウキビが品薄になったために値段が上がったわけで。ガソリンの値段が上がって「ホントは普通車買いたいんだけど、燃費悪いからなぁ」なんて軽自動車買ってません?「ホントは車で行った方が楽なんだけど電車にするか~」なんてやってません?
アートにおける独自性
そういう世界のどっかの出来事が非常に身近なところにまで影響して行動すら規制している。
話を元に戻すと、そのグローバリゼーションが浸透してきてるこの時代にあって何が大事かって考えると「独自性」ってものが重要視されてくる。情報ナリ、モノなりが大量に出回るとどれがどれだが見分けがつかない。独自性の無いものはその大量の情報とモノの中にうずもれてやがて消えてなくなっちゃう。米びつの中の米粒はどれもこれも見分けがつかない。
日本マーケットってものが有効じゃなくなって世界マーケットって大きな目で見ないともはや何も見えてこない。何で砂糖の値段上がったんだろうって、日本だけを見てても答えは出てこないのと一緒で。マーケットが世界規模に変わると、当然競争が激しくなる。そりゃそうだ。
何を買おうと思っても選択肢が世界レベルな訳だから。選択肢が劇的に増えてきてる。そんな中で何の特徴も無いものなんか売れるわけが無い。皆に知ってもらえるわけが無い。だからグローバリゼーションの時代は独自性が重要になってくる。”差別化”なんてもんじゃ追いつかない。
photo credit: chrishimself
そこで日本に生まれて日本で育った以上この日本って何なのか?って考えない手は無いでしょう。アートについていえば、それは日本美術ってものを考えるって事なのであります。
じゃあ何で日本美術を考えるのに工芸を考えるのが有効なのか?それは次の項で詳しく述べていきます。まあ簡単に言うと美術っていう言葉と工芸って言葉は双子の兄弟みたいなものだからなんですね。