久々に卓越したフレーミングの写真をみました。
アイルランド人フォトグラファーRichard Mosse(リチャード・モセ)。
新 聞の崩壊が叫ばれてもう何年たつでしょうか。こぞって世界中の新聞媒体メディアはネットにその生き残りを探りましたが、現状極めて厳しい模様。北欧で(ス ウェーデンだったかな・・)新聞を雑誌のようにデザイン・レイアウトすることで売り上げをとんでもなく回復させたところがあったかと思いますが、大筋ネッ トをどう使うかが新聞メディアの課題であるようです。
紙の大きさ=546×813mm。印刷の質=かろうじて見れる。「記事」という面ではネット上にいくらでも有益な情報がころがってます。じゃあ新聞メディアのリソースの中でユーザに価値を提供できるのはなに?
僕は「写真」に手がかりがあるんじゃなかろうかと。
結 局新聞って「記事」に価値がある媒体だったんだと思うんです。極端な話文字さえ読めればそれでよく、「コトバ」が価値だった。レイアウトがかっこいいわけ でも、写真の質がいいわけでもない。コレクションして自慢できるものでもないし、お腹がふくれるわけでも、部屋に飾れるものでもない。ただニュースとそれに対する論考という文字だけが新聞の価値だったように思うんです。
でもよくよく考えてみるとリソースとしては「写真」ってものもあるんだけど、印刷の質も悪けりゃ、色もないし、魅せるのではなく見せる(報道写真)だけのものだった。でもそれは「新聞」という媒体だったからで「ネット」では紙故の縛りから開放される。
た とえ”衝撃的”な写真であっても、新聞が広く一般に読まれる媒体なのに対して、ネットはユーザーが選択する媒体だから掲載可能だし、なによりモニターが安 価にそして大型化してきた昨今ではフルカラーの大画面でユーザーに提供できる。大衆紙としての新聞では決して表に出せないような真実の一コマを。戦争写真 なんか顕著ですよね。
なんだか「新聞の未来」みたいな記事になってしまったけれど、ここで話をRichard Mosseに戻します。
彼の写真はその対象がイラク戦争であり、単純にその絵だけで衝撃的なのです。戦争写真なだけに。つまりそこばかりに目が行ってしまいと報道写真として見られかねない。
な・ん・だ・け・ど、ぼくは彼の写真から戦争写真(イラクらしい)だからどうのとかってことではなく単純に写真家としての腕、その行動力、卓越したフレーミングとものの見方を感じたんです。写真ってその瞬間のその場の光を切り取る表 現だから行動力が重要ですよね。自分の家のアトリエにこもっていたって絶対に撮れない訳。絵は描けますけど写真は撮れませんよね。80年のアイルランド生 れのRichard Mosse。僕と年が近いのですが、残念ぼくにはココまでの行動力はないですよ。人の違いといえばそれまでだけど、90年代に入ってから驚異的な経済成長 を遂げたアイルランドと、90年代にはすでに物質的に満たされきっていた日本と、そんな時代の最中に多感な時を過ごしたRichard Mosseと私。うーん・・・なんて、そんなことを思ったりするわけです。
写真もいいけど、動画もいい感じですのでごらんアレ。