以前09年締めの展覧会(金属工芸系)-探訪予定リストでご紹介しました山田瑞子氏の個展”Jewellery for thinking about Jewellery”。
山田氏は世界的にも活躍されているジュエリー作家さんで、鍛金と呼ばれる金属の板を金槌で叩き造型する技法をつかって作品を制作しておられる作家さんです。
ジュエリーとは一体なんなのか?Jewellery for thinking about Jewellery
本展では、リングやブローチなどの小物のジュエリーも展示されてましたが、今回の個展のタイトル名でもある作品”Jewellery for thinking about Jewellery”(ジュエリーとは何かを考えさせるジュエリー)が会場となったギャラリー四門の中央にメイン作品として展示されていました。
この作品はいわゆる観客参加型の作品で、実際に会場に来た観客が身にまとうことで成立する作品となっていました。
山田瑞子氏ご本人からも勧められたのでわたくしも”装着?”してみました。
DMの写真と私が身に着けている写真を見比べて頂けれるとわかるのですが、この鎧のようなジュエリー実は右手側には穴がなく作品内部に拘束されるような形態になっています。首の部分も顔が十分に出る形にはなっておらず、また腹部の多くな丸みによってロクに下も見ることができないような作り。端的に言えばすこぶる不自由な感じを受けました。
日本ではあまり知られていない部分もありますが、世界には”コンテンポラリージュエリー”と呼ばれるジャンルがあり、そのジャンルにカテゴライズされる作品を見ていると『ジュエリーって何なんだろう?』とよく考えさせられますが、今回の山田氏の個展ではそれを自覚的・明示的に観客に再考させるものになっていました。
山田氏が会場に貼り出す予定だったが、断念したもう一枚の写真
世界最古のジュエリーは10万年前の中国で作られた動物の骨のペンダント
私自身はあまりジュエリーには造詣が深くないもので知らなかったのですが、山田氏によれば『世界最古のジュエリーは10万年前の中国で作られた動物の骨のペンダント』だそうです。ラスコー・アルタミラの洞窟壁画が約18,000年 – 10,000年前というのを考えると、それよりはるかに以前にペンダントがつくられていたことは正直びっくりしました。
photo credit: christophe brocas
原初的・生物学的衝動であるはずの衣・食・住に直接的には関係のないジュエリーが人類史初の人工物。呪術的なものから生まれたジュエリーはやがて装飾的になり、はては権威付け的になった。そんなことを思うとジュエリーのことはほとんど勉強したことがなかったのですが、突き詰めると興味深いテーマになりそうだなと感じました。
以下山田瑞子氏が今回の個展に合わせて寄せたテキストを引用しておきます。
ジュエリーについて
ジュエリーを作る仕事を始めて20年になる。
美術大学で彫金を勉強し初めて、始めに気に入った打ち出し技法を使い、好きな顔の打ち出しをして、身近なジュエリーに仕立てる事から始まり、鍛金を勉強してからは、他の人があまり作らない、絞りの技法を使ってジュエリーが作れないか、ずっと自分のオリジナリティーばかりを追求してきた。
そして10年前に、‘tactile form’「手触りの良い形」という独自のテーマにたどり着き、硬い金属素材を使って、いかに手触りの良い形を作るか、触らなくても視覚的に伝わる手触りの良さを追求してジュエリーを作ってきた。
制作活動と平行して、10年前から教職の仕事も増え、ジュエリーについての講義もするようになり、ジュエリーの歴史を語るようになった。世界最古のジュエリーは10万年前の中国で作られた動物の骨のペンダントで、類人猿だった私達の祖先が、自分たちより強い動物や、今より過酷だった自然環境に負けずに生き抜く為のお守りだった。ジュエリーは人類最古の人工物の一つだったという事を若い学生に伝えている。これからジュエラーとなる若者達に、その後の歴史上現代までの社会にいくらでもある、富や権力の象徴やファッションとしてのジュエリーだけを作り続けるのか、ジュエリーとは何かを考えるきっかけを与えられたらと思っている。
私自身も、オリジナリティーと、手触りの良い形を追求したジュエリー作りを続けてはいるものの、最近、少し違った試みも始めた。
2005年に作り始めた如雨露型のジュエリーは、大都会東京の中心の庭の無い家で生活する園芸好きの私が、ベランダに植木鉢を並べて植物を育てていて思いついた。植木鉢の植物は、如雨露で私が与える水で命を繋いでいる。私が水やりを忘れると、たちまち枯れてしまうのだ。忙しいストレスフルな現代社会に生きる人間にも、如雨露の水を忘れませんように、というおまじないのジュエリー。
ジュエリーと着ける人との関係、ジュエリーを着けた人とそれを見る人との関係も考え始めた。
2006年に作った大きなネックレス(「ジュエリーの今:変貌のオブジェ」国立近代美術館工芸館)は、まあ、何処のどなたがそんな突飛な物を着けるというの?と思われるかも知れないし、まるで舞台衣装のようにも見える物であるが、装着者とネックレスの間には、人知れず親密な関係があるのだ。普通の真珠のネックレスは、装着してしまうと、自分の首廻りで何個の真珠が自分と触れ合っているか、感じ取る事も認識する事もできないが、このネックレスを着けて馬鹿げた道化のようにさえ見える人物は、今、自分の体のどの3点でネックレスと触れ合っているかを丁寧に感じる事ができるという物。
今回の作品“Jewelleryfor thinking about Jewellery” は、この2006年のネックレスにも増して大きく、大げさで、装着すると、それはそれはナンセンスで滑稽な姿になる。英国人ならハンプティダンプティ、日本人ならロボコンを思い出すだろう。
例えば、普通の人の集まりに3ctのダイヤを着けた人が居たら、とても目を引くだろうし、話題の種にもなって、それを着けている人は他の人に対して大変な優越感を持つことができるけれど、他の人と隔離された孤独感もついてくる。そんなジュエリーのポジティブな面とネガティブな面を顕著に見せる装置としてのジュエリーがこの作品だ。
私達人間は、多くの人と出会う為にひどく目立ちたくなったりする事もあれば、自分以外の世界を恐れ何か大きくて強い物の中に隠れてしまいたくなる事も有る、自分勝手で優柔不断な生き物だ。本当は誰かと繋がっていたいのに、自分からその殻の中に逃げ込んで、他人の手を拒否しながらも、小さな窓から手を出しておどおどと誰かに触れる偶然を期待している。
資本主義におけるジュエリー産業の中では、ポジティブな面しか強調される事のないジュエリーの、アンヴィバレントな存在と、それを必要とする人間の切実で滑稽な姿を見て、皆様がジュエリーと人について、ひと時思いめぐらしていただければ、何日もたゆまず金鎚をふるった私の仕事も報われるように思う。
“ collar with a bump” は、大きなチョーカーで、装着する時は当然目立つので、装着者はしゃんとしていなければならないが、疲れた時にはその襟の陰で瘤を枕に、子供の時お母さんの膝枕でうとうとした時の気分を再現できるチョーカー。うたた寝しているその人の寝顔を覗き見ると、子供の頃と同じ顔になっているのが目撃できるようになっている。
小難しい事を考えながら制作する事もある中堅になってしまったが、私の一番好きなジュエリーは今でも3歳くらいの頃に父が作ってくれたガラスの石の入った銀の指輪。今はもう小指にも入らなくなってしまったが、お出かけの時、よそ行きの服に着替えて、最後にこの指輪をはめると、さっきまでだだをこねて大人を困らせていた子が、たちまちレディーに変身してしまうという魔法の指輪。
素敵な魔法を人にかけてしまうジュエリー作りを目指している。
2009年12月 ギャラリー四門個展によせて
山田瑞子