F1は最高峰モータースポーツであり、それであるが故に、世界最高の技術と超巨額のマネーと人々の欲望としがらみとを惹き付ける。 そこでは個人の意思というものは存在せず、シビアかつストイックで、強大な魔力のようなものが支配する世界だ。
昨日、コンフェデ杯対ギリシャ戦を見終わると同時にF1第9戦米国GP決勝をみたのだが…。なんとレース走行したのはたったの6台。 ミシュランタイヤを使用しているチーム全部が決勝走行することなくピットへと入っていったのだ。(F1について詳しく知りたい人は完全網羅F1用語集)
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ルノー、マクラーレン、ウィリアムズ、トヨタ、レッドブル、ザウバー、BARホンダのミシュラン勢がレースをボイコット。 理由はミシュランタイヤがインディアナポリス・モータースピードウエーでの走行に耐えられないというもの。 実質的には、タイヤの欠陥が分かっても臨機応変に対応しなかった主催者であるFIAに対する抗議の意味が強いと思われ。
時速300キロの世界というのは、畳800畳分の畳の目を正確に数える以上の緻密さを必要とするといっても過言ではなーいのです。 一緒に走行する車の使用しているタイヤの種類・材質・メーカーによって自分の車のタイヤの磨耗具合が変わってしまうほどのシビアさを求められるのです。
F1はただのスポーツではないのであります。当然そんな世界の代物なので莫大な費用が必要なわけです。詳しい金額は忘れたが、 ウイングにスポンサー名を入れるのに、1試合3億位だと聞いたことがある気が…。F1カー一台のスポンサー料は何十億という単位でしょう。 加えて全世界の人の目を引き寄せるわけであり、TV放送やら、広告やら、各F1のパーツを作っている会社やらの、総計としての F1の経済効果というのは何兆円という市場なのではないかと思います。
そんなシビアで、金と欲望としがらみとを抱え込むF1世界のドライバーという存在は、単純に早く走るという、 F1を一つの商品と見立てた場合の幾多もの作業のうちのひとつ、つまり分業者に過ぎないわけであり、 そこには個人の意思というものなど存在し得ないわけです。
初のポールポジション(一番先頭でスタートできる)を獲得したトヨタのトゥルーリにしてみれば、要約花開くチャンスにも関わらず、 それがチームの指示であれば『ノー』なんて言えないんですな。
単純に走っているように見えて実はその裏には、どす黒く蠢くものがあるんですな。こんなに面白いスポーツはなかなかないですよー。是非一度ご覧あれ。