「バウリンガル」にみる現代日本が抱えるコミュニケーション問題

「バウリンガル」にみる現代日本が抱えるコミュニケーション問題

20世紀末頃から日本経済の先行き不透明感が深まる一方で、ペット関連ビジネスが急速に市場拡大を果たしてきている。矢野経済研究所の調査結果によると、ペット関連市場規模は2003年度に前年度比2.7%増の9929億円とほぼ一兆円に達する見込みがあるという。

犬語翻訳機「バウリンガル」が2002年9月に発売され世の中の話題を独占した事はまだ記憶に新しい。この「バウリンガル」は、犬の鳴き声を首輪に装着できる小型ワイヤレスマイクから本体に音声転送し、リアルタイムに鳴き声を分析して画面に表示する「ボイス翻訳」機能を主とした犬と飼い主とのコミュニケーションを補助する携帯ツールとして発売された。

この玩具はタカラと、携帯向けコンテンツの企画・開発会社のインデックス、音声・音響・電波に関する鑑定および研究開発とコンサルティング業務を手がける日本音響研究所との共同開発により生み出された。発売元のタカラではわずか二ヶ月で六万台も売上げ、発売当初は生産が追いつかず店頭では品薄状態が続いた。韓国語版、英語版の売り上げも好調のようで、同社は03年度末までに国内外で260万台、200億円の売り上げを目指しているという。さらに発売一ヵ月後に米ハーバード大学系の出版社が発刊している、サイエンスユーモアマガジン「TheAnnalsOfImprobableResearch」が主催する「IgNobelPrize」の平和賞を受賞した。

「バウリンガル」のヒットは何を意味するのか?
そしてその根底にあるペットブームは何を象徴としているのか?以下に考察していきたい。

ペットの位置づけの変化

ペットの起源については諸説あるものの、家畜として2、3万年前に誕生した犬がその最古であると考えられている。とはいえ日本においてペットが大衆化されたのは戦後になってからだ。以下犬に的を絞って今日までのペットの位置づけの変化とその歴史的背景をみていくことにする。

戦後復興の成果が目に見え始めた1955年頃、爆発的な人気を得たのがスピッツであった。戦後の物騒な時期に大型、あるいはよく吼える犬が重宝されたのだ。ペットとしての犬は金持ちの大きなお屋敷の「番犬」として大衆の中で定着し始める。このことで犬はマイホームと共に、モダンライフにおける一つの価値観、求めるべき理想像になった。

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Creative Commons License photo credit: cogdogblog

その後の高度経済成長期、近代化の流れを受け核家族というスタイルが一般的になる。そんな核家族における父親は近代化という国家的価値観に対し朝早くから夜遅くまで会社で働いた。その結果家に残された母と子は、扱いやすく飼いやすいマルチーズ、ポメラニアン、ヨークシャテリア等の犬を飼い始めた。ここにおいて、番犬としての性格を持っていたペット犬は愛玩動物という性格を帯び始める。

バブル絶頂期には一種の社会的ステータスとしてシベリアンハスキー、シェットランド・シープドック等高価で珍しい種類の犬が好まれ、バブル崩壊後はダックスフンド、チワワ、プードルなど小型で愛らしい種類が好まれている。そしてこのバブル崩壊後の90年代初頭あたりに「コンパニオンアニマル」という言葉が生まれ、同時にペット関連ビジネスは多様化と急速な拡大を示し始めることになる。「コンパニオンアニマル」とはペットを、生活を共にし心を託す仲間(伴侶動物)であるとする概念である。この市場の多様化と拡大の背景には近年の癒しブーム、少子高齢化、ライフスタイルの変化(晩婚化、生涯独身スタイルの増加)、そしてペットの位置づけがそれまでの「愛玩動物」、「番犬」としてのそれから、「コンパニオンアニマル」というポジションに変化してきた事などが挙げられよう。

多様化するペット産業に見るコミュニケーションの問題

現在ペットフードは生野菜、フルーツ、マグロ&チーズ、ひらめ&かに等様々な味付けの商品が売られており、中には「ダイエットに最適ヨーグルトスナック」というものまである。犬であれば子犬用、成犬用、高齢犬用とその年齢ごとに分かれ、流動食なんてものもある。昨今の健康ブームに乗るように健康を銘打った商品も多く見られる。さらにペットをターゲットとした医療、霊園、美容、ホテル、共生住宅、保険など市場は拡大傾向にあり、新たなペットビジネス、犬専用の食事の用意された「ドッグカフェ」や犬と飼い主のための専用広場「ドッグラン」など新ビジネスが次々と誕生している。もはやペットビジネスはただの流行現象ではないと言えるだろう。

これら人に対するものと変わらないサービスや商品の多様化、そして「コンパニオンアニマル」という言葉が示す通り、飼い主にとってのペットの存在意義、関係性は深まっている。今日のペット(犬)と人との関係性を象徴的に表しているのが、雨の日に道行く前足と後ろ足にゴム製のレインシューズを履き、帽子付きレインコートを着た犬と飼い主という構図だ。晴れの日にはサングラス、日よけハットにベストと蝶ネクタイなんてのもある。もちろん四つの足は革靴で固められ、首には飼い主とおそろいのルイ・ヴィトンのポーチを下げている。毛並みを整髪料でセットするのももはや当たり前なのだ。

murrey the cat
Creative Commons License photo credit: constantinos achilleos

言うまでもなく自己は他者との関係において存在できる。
精神分析研究家のR.D.レインの言葉を借りれば「〈アイデンティティー〉にはすべて、他者が必要である。誰か他者との関係において、また関係を通して、自己というアイデンティティーは現実化されるのである。」ということになる。人のペットへの過剰なまでの傾向は、人との関係性において自己を確立していくことに困難さを感じ始めた人々が、ペットとの関係性による自己確立を求めた結果であると言えるのではないか?人とのコミュニケーションの拒否反応、困難さはさまざまな事例に見ることができる。

親による子供への体罰、ドメスティックバイオレンス、引きこもり、少年犯罪の凶悪化と増加、近所の住人の名前も素性もよく知らないという事実などなど。個人的な事項ではあるが中学生の妹の担任の話によれば最近の子供たちは教室で消しゴムを拾うとすぐ担任の教師のところに持ってくるのだという。「どうしてその場でみんなに聞かないの?」と尋ねると「怖くて言えない」という答えが返ってくるそうだ。

文部科学省発表によれば平成13年度の不登校児童生徒数は(国公私立の小・中学校)13万8722人で、児童総数は増加しているのにも関わらず年々増え続けている。このように広く社会的見ても、人との関係性をうまく築けない人々が増えてきているのは間違いないと言えるだろう。

ここでひとつ注意すべきはペットとの関係性というものは決して人との関係性と同じものにはなり得ないという事だ。ペットとのそれは、双方向というよりも単一方向のコミュニケーションであり、対等というよりもむしろ飼い主側に有利な関係性であるのだ。

現代日本の抱えるコミュニケーションの問題と「バウリンガル」

時代は情報テクノロジーによる情報化社会へと変貌し、情報テクノロジーによる双方向のコミュニケーションが誕生してきている。例えば地上波デジタル放送、インターネット、携帯電話などなど。

しかしその本質はバーチャルリアリティであり生の(同じ空間に身をおき、相手の表情、声の調子などを共有する)コミュニケーションとは異なるものだ。双方向性ということに関しても、自らが望まなければスイッチひとつでそのコミュニケーションは成立しなくなる。バーチャルなコミュニケーションは他者を均質的なもの(非個性的)にし、その関係性を希薄なものにする。この事は、前述の、人とのコミュニケーションの拒否反応、困難さというものをさらに推し進める原因ともなりうる。

人との関係性の希薄化により、ネット社会、ペットとの関係を築こうとする事は、他者との関係というものは自己優位で非対等的であり自分の思いのままになるのだ、という極めて危険な思考を生み出し、自己中心的な人間の増加を助長することになりかねない。ともなれば、犯罪はさらに凶悪化と増加の傾向をたどることになることになるだろう。そして人間社会は存続不能になるといった事態まで予想される。

以上のように考えていくと動物と人とのコミュニケーションツールとして開発された「バウリンガル」はこのような時代の象徴であるとともに、先の懸念を補助する悪しきデザインとなりうる。手放しに動物と会話ができると喜べるものではないのだ。しかしながら動物行動学の進歩と、動物の思考のメカニズムの完全なる解明により完全な双方向のコミュニケーションが確立されれば、それは新たなる人のアイデンティティー確立方法と、望まれるべき他者との対等関係を同時に実現可能とさせるものと成り得るかもしれない。

近年社会の関心事は年金、北朝鮮問題、少子高齢化などはっきりと目に見えているもののみに集中し、迫り来る見えない危機にははなはだ無頓着で、私は激しい憤りを感じずにはいられない。人は外部環境により無意識的に形成される。人の価値観、思考体系を決定付けるものはその者の生きる時代であり、その人間の育つ環境である。その環境を作り出すものが「デザイン」なのだということを今一度ここで声を大にして言いたいと思う。

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