
いいものは決して安くはない-大量生産が生み出した相場観
(07.5.10)
リビングデザインセンターオゾンでの展示販売OZONEクラフトマーケットが終了しました!!
お買い上げ下さったみなさま、ありがとうございました☆
お手入れ方法のご質問など、もし何かありましたらどしどしご連絡ください。
今日はこの度のクラフトマーケットをちょいとばかし振り返ってみたいと思います。
このたびも結構な回数お世話になりました。(笑)
展覧会前には頻繁に登場してくる相棒です。
というわけでして、展示前日までバタバタしておりまして、クラフトマーケットは自分の出品していた後期の分しか見れませんでした。ざんねん。。
「手仕事による良いモノは決して安くはない」
ほんのちょっとばかりですが、他の出品者のブースを見て回りました。 まぁその価格の安いこと!?。。 正直これじゃ赤字でしょって値段で出品しているツクリテがホントに多かった。 まあ正直なとこ我々金打-kanauchi-も相当ぎりぎりの価格で提供させてもらいましたが、それにしても皆さん安かった。
「モノ」を知っているから分かるわけですが(いや、ツクリテとしてちょっとは知ってるということで、何も自画自賛してるわけじゃありませんよ…)、「手仕事によるいいもの」っていうのは絶対に高額なんです。手仕事でモノを創り出すことは尋常でないくらい手間がかかる。
ぼくらのまわりのモノは、そのほとんどが機械による大量生産品。
その大量生産品って言うのは、機械を使用するため、あっという間にモノができちゃう⇒大量に生産できる⇒その結果考えられないくらい安い値段で市場に出回る。
そうなると…
人々のイメージするモノの相場ってものが、非常に安い状態でインプットされてしまう。
「モノを見る眼」のある方なら簡単に分かることですが、手仕事にしか出来ないモノっていうのがある。
「あ、これは機械じゃできない仕事だな」
とか
「これは大量生産じゃ不可能なシロモノだな」
とかね。ここでは詳しくは言いませんが。。
そんなこんなだから、多くの人の頭の中の思考の流れを見てみると…
「携帯ストラップの相場は○○。でもこのストラップは××。
ってことは5倍もするじゃないか!?高いよキミィ!!」
みたいなことになる。(実話じゃないよ)
手仕事による本当にいいモノは、大量生産品の相場とは別次元のもの。 そこが理解してもらえないと、ツクリテは作ることができなくなり、この世の中からいいモノがなくなっていってしまう…。
何もわたしは、機械生産品が悪いとか、楽だとかいってるんじゃありません。
また手仕事のものであればなんでもいいと言ってるわけでもありません。
機械生産品といってもその機械を作るのは職人さんの手仕事に負うところがおおきいし、大量生産にも優れたものがたくさんあります。安く提供できることも素晴らしいことのひとつです。そのおかげで私たちは今の暮らしを営むことができるのですから。
手仕事によるものだって、なんでもかんでもイイわけじゃなく、消えてしかるべきなものも数多くあります。そういうことではなく、大量生産品の相場と、手仕事によるモノの相場を一緒にするのは問題だといいたいわけです。手仕事のものを見て「た、高い!!」と思うのは当たり前。 それでもイイ!!と思ったらそれはその高い値段の価値があるわけです。価値というのは自分自身の中のものさしが決めること。値段やブランドといったものさしでは本当のモノの価値は見えてきません。
手仕事は非常に多くの時間を必要とする本当に手間ひまのかかるものです。これは言葉で説明するのは不可能です。"実際に何かを作る"ことを経験しないと分からないことでしょう。経済合理性に支配された市場では決して生まれ得ない領域のものを手仕事は生み出すのです。コストや労力、に一切妥協せず既成概念や相場に縛られずに生み出されたモノがこの世には確かに存在します。そしてそれは絶対に手仕事にしかできないものでしょう。それがこの世の中から消えてしまうのは非常にさみしい。ソフトパワーが世界を折檻しつつある現代において、文化の消失を容認するのは経済的にも政治的にも断じてあってはならないことです。
買う買わないは個人の自由。
それとは関係なく
手仕事による良いモノは決して安くはないのです。












